全ての人に防災で安心できる非常食を、全ての人に防災意識の維持と向上を。
阪神大震災のとき、私は病院食の流通に関わる仕事をしていました。
病院で必要な食事は全て手配していましたが、
当時、非常時の食事というものは一切考慮されていませんでした。
震災直後より現場はパニックになり、病院にかろうじてあった食料庫(1、2回分の食事)を
緊急で用意しました。しかし、電気もガスもストップしているので、
たとえ材料があっても調理ができませんでした。
神戸市大石東町6-2-1 西郷小学校・1995年2月9日 写真提供:神戸市
阪神大震災を人々が体験したことで、
行政の防災意識は変わりました。
当時、救出された生存者のデータを見ると、
約16.4万人が瞬間的に瓦礫の下敷きになったとあります。
しかし、警察、消防、自衛隊 合わせて、
行政機関から救出された人数は4935人とあります。
つまり、16万人の人々は近隣近所、ボランティアなど、
専門機関以外の人に助けられたということになります。
神戸市中央区の小学校・体育館内・1995年1月17日 写真提供:神戸市
私がこの仕事を通じて感じてきたことは、
自治体、中小企業の防災への取り組みへの弱さでした。
高防は医療機関と各コミュニティの災害援助の情報共有のパイプ役を目指します。
医療関係の食事流通の事業に30年勤務し、
1995年の阪神大震災以降は、兵庫県内の
医療施設の防災対策食品に携わりました。
地域の自治会長の勤めを通して、
地元コミュニティの災害対策の弱さを実感し、
「防災意識の維持と向上」を掲げて、
2018年11月、株式会社 高防を設立しました。
三木市在住。
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